今だから言えるけどって話。
もう4月下旬のことなのですが、
過日、札幌に戻った時に、
目に見えないものを連れて上海に戻ってきてしまいました。
普段は、何かが近づいてきても、
ガードが出来ていましたが、
嫌な予感があったものの、今回はちょっと不覚でした。
金縛りにあった時にも天井に何か見えて、
翌日熱が出てしまい、
偶然来てた日本からの祈祷師の人に家に来てもらって、
ああでもこうでもない、と対処してもらって、
家の中に結界はってもらって、
私も浄化してもらって・・・と。
かなりスピリチュアル的に?忙しく疲れた数日を過ごしていたんです。
でも、その後。
家の中、会社の中は何ともないのに、
一歩外に出たら、元人間ではない魔物に近いいろんなものが襲ってきて、
怖くて怖くて歩けないのです。
おまけにマンションの敷地内だというのに、
どういうわけか、野良犬とも鉢合わせ。
一時器押さえていた感度が、
ビンビン上がってきてしまったようだ・・・。
25歳の時の恐怖体験で一度閉じた感覚。
祈祷師の先生に連絡を取ってもらったら、
今は浄化中だから、しょうがないとの答え。
これでまた普通の生活が出来るだろうかという不安がありました。
まさに、普通の人が見たら聞いたら精神異常レベルに、
いろいろなものが怖い。
今は、周波数が元に戻れたらしく、
未だ病み上がりのような状況ではあるものの。
ごく普通に近い状態になってきました。
精神世界の状態は、
距離も壁も関係ないから、
私の心の弱さ、恐怖心が原因だったのかもしれません。
怖いことにかなり敏感に反応して、また恐怖心が別の恐怖を読んでしまう、という感じ。
でも、気を付けないと、肝に銘じないと、
本当に危険なことになってしまう。
そんなことを思いました。
天国は近づけり。
とはキリスト教が主張する言葉。
だけど、
よく考えてみれば、
神様の長い長いご経綸の中で、
キリスト教だけではなくて、
色々な宗教が、
わずか100年ちょっとの誤差で、
みな同じように「この世の終わり」を告げている。
私が解釈するこの世の終わりとは、
地球が滅亡するという意味ではなく、
新しい世界が生まれるということ。
新しい世界が生まれるときに、
古い世界、古い価値観、古い器が整理され、大ナタが下されるの。
何もかもが、明るみにされる新しい世界。
アダムとイブが「辱」を知る前の俗物的ではなく、
第三の目が開いた状態にもう一度生まれ変わる世界となるのだ。
その時に、
自分は本物でいられるか。
魂がきれいで入られているか。
恐怖を克服し、
一歩前に足を進めなくちゃと。
そうして現在に至る、って感じ。
カンボジアのアンコールワットで、すっかり浄化されて帰ってきたのです。実はね・・・。